90210

【90210】

この数字の意味をご存じだろうか。

この数字はアメリカで1番有名な郵便番号として知られている。
90210が指す場所、それは高級住宅街として知られる【ビバリーヒルズ】である。
中学生だった私は、大ヒットドラマ「ビバリーヒルズ高校白書」(原題「90210」)に夢中になり、アメリカという国に憧れを抱くようになった。
この憧れはいつしかドラマの中の『ウェストビバリハイスクール』に通う主人公達のような高校生活を送るという目標へと変わっていった。

私が16歳になった時、その目標が遂に現実のものになった。
アメリカの高校への入学が認められたのだ。
周囲の反対を押し切って、私はアメリカへと旅立った。

念願のアメリカの土地に足を踏み入れた瞬間、私の頭によぎった言葉、それは…
 違う、これじゃない

ドラマで描かれていたアメリカは、青い海、ヤシの木、高級デパートにオープンカーでフリーウェイを走り抜ける、そんな世界だった。
実際に私が踏み入れたアメリカは、果てしなく続くコーン畑に牛、牛、牛…
そう、私が住むことになっていたのは、カリフォルニアから2300キロ離れたアイオワ州だった。

『アイオワってポテトが有名なとこだよね』

アイオワ州というとポテトが有名なアイダホ州と間違われるような特徴もなければ、海もない州である。
私のホストファミリーが住んでいた町は人口2000人ほどで、99パーセントの住民が白人だった。
過去に起きた犯罪といえば、夫婦喧嘩で怪我を負わせたくらいの安全な町で、車や家に鍵をかけることもない。
2キロ以上離れた場所にあるお隣さんへ行くときの移動は車か馬を使うことを勧められた。
ドラマで出てきたオープンカーなどとんでもない。1日で車がアイオワ臭といわれる家畜のにおいになってしまうからだ。

肝心の高校生活はというと、初日に校長先生からこのような校則を説明された。

『洋服の袖がないものは着てはいけない』
『ショートパンツやミニスカートは禁止』
『授業中に物を食べてはいけない』
『いかなる場合も学校が終わるまで校庭を含む外に出てはいけない』

キリスト教徒率がほぼ100パーセントのこの町では、保守的な考えが強く、校則も他の学校に比べて厳しかった。
ドラマで主人公達が着ていた服や外でのランチはすべて禁止されていた。
ドラマと同じものといえば、授業終了のベルの音とロッカーくらいだった。

私はドラマとはかけ離れた『THEど田舎』のアメリカにがっかりした。
しかし、どんなに嫌でも1年間は日本に帰ることができなかった。
毎日、日本の家族や友人からの手紙や写真を見ては、浅はかな自分の考えを後悔し泣いていた。

もちろん、日本の授業で学んだ英語力の私が、ポンとアメリカの高校に一人入ってついていけるわけもない。
先生の言っていることが一切理解できず、宿題がでていることさえ分からずに、宿題をしないことを怒られたこともあった。

 早く帰りたい…

そんな思いばかりだったある日の自習の時間、クラスメートが私にノートをくれた。

 『明日はクイズがあるから、一緒に勉強しよう』

彼女にとって、落ちこぼれの私と勉強して、いいことなど一つもない。
だが、彼女は諦めることなく、私に試験内容を教えてくれた。
それから、彼女は自習の時間になると私のテーブルに来ては色んな教科を教えてくれた。
そのうち、他の生徒も一緒になって教えてくれるようになった。
実は、自習のクラスでは1テーブルに2名以上が座ることを禁止していたが、私のテーブルは常に沢山の生徒が座り、先生もそれを止めることはしなかった。

こんなことが起きるのは、学校だけではない。
ちょっとでも一人で歩いていると、通る車は必ずどこに行くのか聞く。
ナンパではない。
歩くことがほとんどないアイオワで歩いている人は、困っている人と判断される。
通る車通る車に行き先まで乗せていってあげるよと言われた。
この町では困っている人を放っておけないのだ。

こんなちょっとおせっかいな人と触れ合いながら1年を過ごした私の中で変わったのは英語力だけではない。
この田舎町がいつの間にか大好きになってた。
結局、私は日本に帰ることはせず、フィラデルフィアの大学に編入するまでの4年半をアイオワで過ごした。

もちろん、ドラマに描かれるようなかっこいい生活ではない。
一番近いスーパーは車で30分かかるし、厳しい校則もある、アイオワ臭だって本当に鼻がもげるかと思うくらい臭い。
だが、私は何よりアイオワがアメリカで一番の町だと思っている。

アイオワを離れてから十年程経った、昨年の感謝祭、久しぶりにアイオワを訪れた。
相変わらず、かっこいい町ではなかったが、ビバリーヒルズにはない自然が好きだ。
一度、アイオワの満天の星空を見た人は、二度と忘れることができないだろう。
数秒に一回は流れ星を見ることができ、無数の星がこれでもかという位輝いている。
そして、アイオワの夕暮れ時の地平線は本当に美しい。

何より相変わらず、おせっかいで町全体が家族みたいなこの町の住民が大好きだ。

アメリカの旅行先に『アイオワ州』を選ぶ人はまずいないだろう。
もちろん直行便もでていない。
だが、もし機会があったら、是非、『THEど田舎』アメリカ代表アイオワを訪れてみてはいかがだろうか。

Y.T.