韓国・群山で過ごす旧正月

「旧正月の連休は、タプサ(踏査)に行こう」

2014年1月、留学していたソウルの大学院で、私の所属する史学科の友達に言われた一言だ。彼女はソウル出身で、親戚も皆ソウルにいる。旧正月の挨拶は1日で済むから、韓国人には珍しく旧正月の連休は暇だという。外国人である私にとって、旧正月は何もすることのない突如現れた連休であるから、誘いを断る理由はなかった。タプサとは歴史的な場所や遺跡を訪ねること。史学科の学生たちが愛用する言葉である。

どこにタプサへ行くのかと私が聞き返すと、友達はソウルの南、全羅北道の群山(グンサン)がいいのではないかという。さて、ここで皆さんに聞きたい。群山という街を知っているだろうか?

何と群山は1910年から1945年の終戦まで、日本人が最大1万人も居住していた日本人と関わりの深い街なのだ。

1月下旬、旧正月の連休。実際に群山を訪れた。
ソウルから高速バスで2時間半の距離だった。ソウルは仙台とほぼ同緯度にあるが、群山は横浜と同緯度にあるという。寒くないだろう、と油断したが、港町のため海風が強く、体感温度は低かった。

到着してすぐ、群山名物「カンジャンケジャン」を食べに行った。カンジャンケジャンとはワタリガニの醬油漬けのこと。ソウルや日本で食べると5000~8000円するものが、港町・群山ではなんと1000円ほどで食べられる。ほぼ臭みの無いワタリガニの醤油漬けは、韓国では「ご飯泥棒」と呼ばれている。

ごはん泥棒

群山という街の特徴、それは街中の至るところに「線路」があることだ。
群山は戦前、米を輸出入する港町で、多くの日本人が住み着き、財をなした。米を運ぶための線路かと思いきや、製紙工場へ原料を運ぶために作られたものだという。使われていない踏切もそのまま残っていた。ソウルは地下鉄が多く、踏切がほぼないといっても過言でもない。友達は初めて見た、と踏切をまじまじと眺めていた。線路も踏切も、今は使われていない。

街中の線路

そして群山の最大の特徴はやはり「日本家屋」であろう。
日本式の木造の家屋がいくつか残っているのである。韓国でお目にかかるとは、私も想像がつかなかった。日本家屋の中で最も有名なものが「広津家屋」である。2階建ての小さな庭園付きの典型的な”立派な”日本家屋だ。広津家屋は一般に公開されていて、現在は中に入ることもできる。

広津家屋内は韓国人の観光客であふれていた。
「ジブリみたい!」「ジブリに出てくる家みたい!」
そんな韓国語が広津家屋内に響き渡っていた。
旧正月にこんなに人がいるとは、皆意外とすることがないのであろうか。

広津家屋

※写真は韓国観光公社ホームページhttp://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/index.jspより引用

最終日、群山内を歩き回った私たちは群山で一番有名な中華料理店さんで昼食をとった。
「濱海園」という映画の撮影でも使われたことのある中華料理屋だ。
韓国で中華というとやはり真っ黒な「ジャジャン麺」(ジャージャー麺)だ。ただ、食べ飽きてしまったという友達は「チャンポン」を注文していた。

奥がチャンポン、手前がジャジャン麺

奥がチャンポン、手前がジャジャン麺

韓国のチャンポンは赤い。
知り合いの韓国人が日本に旅行に来た際、辛い物が食べたくなってチャンポンを食べようと某チェーン店に入ったが、日本のチャンポンが白く、さらに辛くなくて(むしろ甘くて)驚いてしまったそうだ。腹ごしらえをして、私たちはソウル行きのバスが出ているバスターミナルへ向かった。

初めて韓国で過ごした旧正月であったが、群山という日本人とも関わりの深い街で過ごすことができて、非常に楽しかった。群山は、韓国人に聞くと「あんな田舎町、誰が行くの?」と言われてしまう街である。だが、前述の通りご飯もおいしく、魅力あふれる街である。紹介したもの以外にも、歴史的な建造物や、博物館、並ばない韓国人が行列するパン屋もあるのでおすすめだ。
ぜひ、本コラムを機に群山に興味を持ってくれる人がいたらと願うばかりである。
群山を気に入った私は、本タプサの2ヶ月後にも群山を訪れた。

ただ、最後に1つ。
正月中は避けた方がいい。帰りのバスが、旧正月連休の渋滞に巻き込まれ、行きより3時間も時間がかかったことが、タプサの唯一の誤算であったからだ。

M.O.