会話中の主語の省略にみる関係

先日、社員同士で会話していたときのこと、「それって誰が?」と尋ねられました。
私は「家に帰ると寝てるんです。だから帰っても暗いんです」と話していました。
質問をしたのは男性社員です。そのとき、ふと思いました。この質問は女性社員同士だったら出てこないのではないかと。
「私」を省略することは日本語の会話中、誰でも自然に起こると思います。私の個人的な感覚ですが、女性同士の会話では「私」に加えて、「彼」「夫」「パートナー」を省略するということも頻繁に起こっていると思います。

この省略がどこから生じるものか、自分なりにふたつ答えを考えてみました。
まずはじめに思いついたのは、「私」を省略しやすいのは「私が」「私が」という話し方は自己中心的で幼い、というイメージがあり、避けられるというように、「彼が」「彼が」という話し方は遠慮なくのろけまくっている、というイメージがあるため、避けられるというもの。しかし、話しているうちに、そこまで考えて話しているわけではありません。
つぎに考えたのは、物理的に離れていても、私とパートナーは一心同体、だから自分のことのように話したいからというもの。社会言語学という分野では、人は同じような話し方をすることで、仲間意識を確認するという考え方があります。例えば流行語やギャル文字などです。話し方ではなくても人は会話しながら、「誰と誰が仲間」ということを常に意識しているのかもしれません。「自分のことみたいに」というところが「うれしい」ようです。
このふたつの考えを女性社員に話したところ、まったく別の答えが得られました。
自分のパートナーは別として、人の「彼」「夫」「パートナー」をどう呼んだらいいのかわからない。だから略せる限りは略すという答えでした。
自分のパートナーの場合も、話し相手に対してどのような表現を使うのか迷う場面はでてくると思います。学生時代からの女友達に話す場合と、会社の上司と話す場合、「彼ママ」と話す場合では表現が違います。呼び慣れていないときや、とっさに出てこないとき、省略するということはありそうです。

どのような理由にしても、話し手がパートナーを指す主語を省略している場合、話し相手はまあそんなにうれしくないことが予想されます。「誰が?」となったり、「わかりにくい話だな」となったり、敏感な人だとパートナーの主語が省略されているだけで「のろけられている」とも感じることも。
自分のパートナーを指す主語はあまり省略しないほうがよさそうです。

S. K.