2003年3月のコラム

彼は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。
彼には難しい理論はわからぬ。けれども、邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。彼はこの都市生まれである。小さい時、この都市を離れ、この年になるまで田舎の町で暮らして来た。きょう未明彼は家を出発し、電車に乗り、地下鉄に乗り換え、この都市にやって来た。
電車の車内で携帯電話の画面を何やら熱心に覗きこんでいる者がいる。トランプのゲームである。しかし何かが変である。何が変なのか最初はわからなかったが、注意深く見ているうちに原因にはたと思いあたった。
彼はその若い衆をつかまえて、質問した。
「何かあったのか、以前はトランプのハートとダイヤが赤く、
スペードとクラブが黒だったはずだが」
「王様がお変えになったのです。」
「なぜ変えたのだ。」
「このほうが良いというのですが、誰もそんなことは思っておりませぬ。」
「他にも何か変わったのか。」
「はい、はじめは山手線の電車の車体をだいだい色に。それから京浜東北線を黄色に。それから、中央線快速を水色に。それから総武線を黄緑色に。」
「おどろいた、国王は乱心か」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人が決めたことが気に入らないというのです。最近では、信号の色さえ気に入らないと、進めをスパークリングブライトピンクに、止まれをエクセントリッククリスタルシルバーに変えるように命じております。御命令を拒めば捕らえられます。今日は何人投獄されたことでございましょう」
聞いて、彼は激怒した。「あきれた王だ。生かしてはおけぬ。」
彼は、単純な男であった。のそのそ王城にはいって行った。
たちまち彼は捕縛された。調べられて、彼の懐中から短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。
彼は王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
「この都市を暴君の手から救うのだ。」
「おまえがか?」王は憫笑した。
「おまえなどには、わしの心がわからぬ。」
「言うな!」と彼は、いきり立って反駁した。
「王は混乱を楽しんでいるのか」
「わしがわしの好きに変えたのだから、良いではないか。事実、ハートとダイヤが黒いトランプのカードを見せても、以前のカードと違いがわからない者がおったぞ。」暴君は落ち着いてつぶやき、ほっとため息をついた。
「今出まわっている硬貨や紙幣のデザインを描かせても、正確に描けた者はほとんどおらん。どうせ、その程度のことなのだ」
こんどは彼が嘲笑した。「デザインが正確に描けなくてもよいではないか。それでも、50YENを500YENと間違う者はいないのだから」
「だまれ、下賎の者。」
彼は悪びれずに続けた。「右に曲がりたい時は左の方向指示器を点滅、左に曲がりたい時は右の方向指示器を点滅させるのは、いくらなんでも、いかがなものか」王は、さっと顔をあげて報いた。
「口ではどんなことでも言える。わしは人の心の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、今に投獄されて、今のほうが良いと泣いてわびたって聞かぬぞ。」

この後の顛末は皆さん、よくご存知のはずです。今、貴方の近くに暴君はいませんか。暴君の暴虐に耐えていませんか。
2003.3

文責:とうか いちゆう