環状4号線を辿って

※これは、2019年12月現在の内容です。工事の進捗により、この文章に書かれた内容は古くなります。

弊社ビルは夏目坂通りという、ある文豪の苗字と同じ名前通りに面しています。
夏目坂というのは夏目漱石の父親が、自分の姓をつけたのが由来です(夏目漱石『硝子戸の中』より)。ちなみに、漱石はこの地で生まれ、夏目坂から歩いて数分のところにある漱石山房記念館のある地で亡くなっています。
東京メトロ東西線の早稲田駅2番出口から、早大生がキャンパスへ向かう方向とは逆の右手、——やよい軒がある方ですね——に曲がると、緩やかな坂が続いています。これが夏目坂で、弊社ビルはこの坂のちょうど中ほどにあります。
この夏目坂を登り切ると、大久保通りとの交点、若松町交差点に着きます。この信号をまっすぐ進むと、都営大江戸線の若松河田駅の若松町出口が見えます。
若松河田、という駅名は合成駅名(複数の地名や名称を合わせたもの)で、若松町と河田町、という二つの町の境目にあります。
河田町には1997年にお台場へ移転するまで、フジテレビの本社がありました。現在は高層マンションになっています。

前置きが長くなりました。タイトルの「環状4号線」とは聞きなれない名前です。「環七」「環八」はよく知られていますが、ならば「環一」〜「環六」は?と思ったことはないでしょうか。お察しの通り、その中で「環四」となるのが、この環状4号線です。そして、聞きなれないのは「環四」は全然環状していない、途切れ途切れの道だからです。環四は知らなくても、「不忍通り」や「外苑西通り」なら聞いたことがあるかと思います。これらは、環四の一部なのです。そして、最初にお話しした夏目坂通りも、実は環四の一部です。

環四含む東京の環状線は、はるか昔関東大震災の復興事業として計画されました。しかし、太平洋戦争を経て戦後のゴタゴタの中、用地の取得が難航し、現在に至ります。
しかしながら、近年少しずつではありますが、環状4号線の計画が進んでいます。現に、先述の若松河田駅から弊社へ向かう際、進行方向右手には緑色のネットフェンスで囲まれた空き地が点在しています。これは、環状4号線建設のための拡幅用地です。また、若松町交差点も、角の用地が確保されポールが建てられているのが分かります。
そして、弊社の位置する夏目坂通りも、拡幅工事が始まることとなりました。
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/02/28/05.html
現状の幅員11mから20mに拡幅が行われ、それは通りに面する商店や住居、寺院が立ち退きあるいは土地の減少を強いられることを意味します。すなわち、今見ている風景が大きく様変わりする可能性が極めて高いです。

来たる2020年東京五輪に向けて、都心では至るところで大規模開発が進んでいます。その一方で、これまで当然のようにあった風景は、失われつつあります。
弊社へお越しの際は、この風景もあと数年で見納めかもしれない、ということに思いを馳せていただきますと幸いです。