大和田建樹と法身寺(新宿区原町)
明けましておめでとうございます。
年末年始、鉄道を利用して旅行された方も多いと思います。鉄道が開業したのは明治5年9月12日(太陽暦で1872年10月14日)のこと。新橋駅と横浜駅のあいだの29kmが53分で結ばれました。そして開業からわずか30年あまりで日本の鉄道総延長は7,000kmに達します。その鉄道の発展と切っても切れないのが「汽笛一声新橋を」で始まる「鉄道唱歌」。第一番からなんと374番まで、全6集に渡る大ヒット作品となりました。「鉄道唱歌第一集」の発表は1899年のこと。歌集の副題「地理教育」が示すように、子供の地理の知識に資するために企画されたものですが、歌いやすいメロディーに乗せて日本中の名所旧跡やエピソードをめぐる構成が空前の大ヒットとなりました。
「鉄道唱歌」の歌詞を作詞した大和田建樹は1857年(安政4)に愛媛県宇和島で生まれました。幼少から神童と呼ばれ、1879年(明治12)国文学の研究を志して上京し、苦学の末、東京大学や高等師範学校(現筑波大学)で教鞭をとるようになります。35歳からは作家活動に専念し、国文学の著作を初め多彩かつ膨大な作品を残しました。また1300編に及ぶ作詞を行い、鉄道唱歌はもとより、「故郷の空」「青葉の笛」など平明で清澄な作品を数多く残しています。永く牛込原町(現新宿区原町)に住んでいましたが、50歳をすぎて脊髄炎を患い、また海軍省委嘱の軍歌の作詞に追われる中、残暑を避けるために身を寄せた法身寺で亡くなりました(1910年(明治43))。
建樹の終焉の地となった臨済宗法身寺は原町3丁目、大久保通りから横丁を北に少し入ったところにあり、何となく明るく静かな佇まいのお寺です。近頃はあまり見かけなくなりましたが、筒型の天蓋を被り尺八を吹きながら行脚し、あるいは門付けする虚無僧をご存知でしょうか。虚無僧が属する普化宗は禅宗の一派で、臨済宗とは深い関係にあり、江戸時代には幕府の保護を受けて大きく発展しましたが、明治に入って太政官布告によって廃されます。江戸期に青梅にあった普化宗の本山の一つ鈴法寺が廃寺となった際、その江戸番所の仏像や仏具を法身寺が引き取り保存しました。これが「旧鈴法寺江戸番所資料」で、普化宗の遺物が少ないため貴重な資料となっているそうです。また江戸幕府の住職任命過程が分かる資料(「徳川家綱公帖」「徳川綱吉公帖」)、師弟の法脈の継承に関する資料(「投機の偈」「仏祖正伝済家相承一大事」)などがあり、まとめて「法身寺文書」と呼ばれ、いずれも新宿区の文化財に指定されています。
(鉄道唱歌の写真は「西乃湯 鉄道我楽多館」(http://train-garakuta.cocolog-nifty.com/blog/)から拝借しました)