原町散歩 第9回 七月のお散歩

国立感染症研究所(新宿区戸山)

東京の梅雨明けはまだ先のようですが、晴れ間の強い日差しに夏の間近いことが感じられます。夏といえば食中毒の季節。食中毒といえば1990年、埼玉県浦和の幼稚園児集団食中毒で大腸菌O157が広く知られるようになりました。しかしO157だけでなく、鳥インフルエンザ、サーズ、新型インフルエンザ、今また風疹の流行と、感染症は今なお現代人の健康を脅かしパンデミックの恐れも喧伝されています。

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当社から西へ10分ほど、戸山公園東側を通る静かな道路沿いに国立感染症研究所(通称NIID)があります。ウイルス・細菌・寄生動物などによる感染症、エイズやハンセン病など特定疾患の研究と対策を専門とする研究所で、テレビニュースで建物の映像をご覧になられた方も多いのではないでしょうか。国立感染症研究所は戦後間もない1947(昭和22)年、東京大学附属伝染病研究所内に国立予防衛生研究所として設立されます。その後1995年に品川区の旧海軍大学校跡地へ、さらに1992(平成4)年にこの戸山地区に移転し、1997年、国立感染症研究所と改称されました。

戸山地区はもともと戸山ヶ原といわれ、広大な練兵場をはじめ陸軍病院や陸軍軍医学校などがあったところです。戦争の激化にともない長大な地下トンネルの敷設など施設の要塞化が図られたようですが、激しい空襲によって多くの施設は破壊されました。戦後は住宅不足から高層の集合住宅が多数建設され戸山ハイツと呼ばれています。また敷地の一部は第2回「箱根山」でご紹介したように、戸山公園として開放されました。一方で、陸軍病院の跡地は国立国際医療センター、その東側の軍医学校跡地は国立感染症研究所となるなど、他の関連施設とともに医療・福祉センターの趣を呈しています。

国立感染症研究所の移転に先立つ1989年7月22日、研究所の建設現場から多数の人骨が発見されました。当初は個体数35体、死後経過年数20年以上、犯罪と認められる加害の証跡なしとされ、速やかな焼却・埋葬が厚生省から指示されたのですが、保存運動の高まりもあり、札幌学院大学佐倉朔教授に鑑定が依頼されます。そして100体を超すモンゴロイド系の異質な人種が混在し、日本人人骨の無作為抽出とは言えないこと、穿孔や切断など人為的な加工の痕跡があり、刺創や銃創の跡が認められ、手足の骨は医学的には意味不明なさまざまな位置で鋸断の跡があることなどが分かりました。発見されたのが旧陸軍軍医学校の跡地であったことから、七三一部隊などの日本軍による医学人体実験に関わる標本ではないかとの説も出ましたが、当時の重要な文書の多くは廃棄され、あるいはアメリカに接収されてしまっているため、確たる証拠も発見されないまま、現在人骨は国が保管し、研究所敷地内に慰霊の記念碑が建立されています。私自身も40年ほど前、陸軍病院の看護婦をなさっていた方から、終戦間際に巨大なガラス瓶に入った人体標本を何体も破壊し地中に埋めるのを見たとの話を聞いたことがあるので、さらなる発掘調査を含めて真相の究明が行われればと思っています。

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Y.O.