『新語新知識』という本があります。「新語」といっても発行は昭和9(1934)年。大日本雄辯会講談社の雑誌『キング』の付録で、キング新年号本誌と一緒に買うと60銭、とのこと。カタカナ語の説明や時事用語、流行語のほか、「地球の大きさ」などの豆知識まで、QA形式で、なるべく幅広い話題を網羅するという編集方針のようです。時代を反映してか、戦争や軍隊に関する言葉の解説も目立ちます。
その中から、平和な話題を一つ。
「【問】あの人は豆頁(まめページ)がいいとか、彦頁(ひこページ)がいいとかいふのはどういふ訳ですか」
もとは縦書きにルビが振ってありますが、横書きで見ると一目瞭然のように、これは「頭」「顔」をそれぞれ指すそうです。これを見て「ネ申」という表記を思い出しました。「神」という字の代わりにインターネットの掲示板などで使われることがある表記です。
古くは「山上復有山」で「出」と読ませた万葉仮名から、「女」を分解した「くノ一」や、逆に「八十八」をくっつけた「米」寿のように、漢字をバラバラにする遊び心は珍しいことではありませんが、同様の発想が、それぞれの時代の流行の中にも受け継がれて、今に至るのを辿ると感心します。
ただし、最初に挙げた例では「まめページ」というように読みもふくめた新語ですが、「ネ申」については、もっぱら表記の上での遊びのようです。前者は「あたまがいい」とストレートに言うのを避けて一ひねりした、いわば口頭での会話から出てきた表現であり、後者は、始めから横書きの文字として表示されることを前提として、書き言葉から生まれた表現である、という違いではないでしょうか。
メール、ツイッターなど、文字によるコミュニケーションが直接の会話にとって代わるにつれて、表記のバリエーションはますます豊富になっていくかもしれません。その一方で、「まめページ」と言って「頭」と分かるような、口頭での会話での表現の工夫もどこかで生き残るといいなあと思います。
最後に、【問】に対する【答】の全文を載せておきます。
「【答】豆頁といふのは頭のことで、彦頁といふのは顔のことです。どちらもその文字を二つに分けて呼んだ言葉です。豆と頁は頭でせう。頭がいいといふことが豆頁がいい。顔がすてきだと言ふときには、彦頁がいいと言ふやうに使ふのです。然し、この種の言葉は悪い流行で、あまり使はない方がいいでせう。」
参考文献:『新語新知識 附 常識辞典』大日本雄辯会講談社、昭和9年