2002年1月のコラム

 夏目坂を下りながら考えた。これは「夏目坂通信」である。誰かがいつか彼に触れねばなるまい。だとすれば、まあ吾輩が先陣を切るしかないであろう。
 「いつぞやは卒論でお世話になりました」と深く頭を垂れ、「生誕の地」と刻まれた石碑に毎朝毎晩挨拶をする機会に恵まれた地に吾輩の職場はある。
 学生時代、彼の著作を応接間の揺り椅子で読み耽って、さて読破したもののどうするか等と考えた頃が懐かしい。福永武彦の作品にも魅力はあったが、まあ彼を選んで正解だったと思っている。

 別にくどくどと君の生立ちについて書くつもりは毛頭ない。しかし、まあ少しは君の著作を眺め直さねばなるまい。
 僕(私)が読んだ君の作品はすべて実家の書棚で古い家の古いピアノフォルテのえんじ色に似合いの家具調度の一部になっている。だからそれを無理矢理かさぶたを引き剥がすように自分の元に持ってきてしまうのは、僕(私)の美学に反してる。
 勿論君の著作が亡き父の収集物だったってこともその一因。大学で電気を専門にした父が、小説を読もうと思ったきっかけがあの有名な「草枕」の冒頭だったわけで。

 父は貴方を敬愛していた。父の書棚から貴方を引き離すことは酷というもの。だとすれば手軽なところで、立読みをするに限る。世の中は基督の生誕祭だ、正月だと騒ぎ立ててる。でも、そうやって煽られること。それがもう私(僕)には耐えられない。
静かな気持ちで澄んだ境地に入っていきたい。周囲の空間がすべてゆがんでぼやけていって自分にとっては無意味な存在になる。

 吾輩が「吾輩は猫である」を手に取ると、冒頭、吾輩が人間に捨てられ、別の人間の「家に住み込」む場面。そうこうしているうちにすぐ正月がやってくる。人間は年末に水彩画など物しようとしたのだが、吾輩の肖像画入りの年始状を何人かから受取っても、「吾輩が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく征露の第二年目だから熊の絵だろう」。猫と承知してからも「今年は猫の年かな」などと独りごつ。

 ここを頁の中に見出した時、僕(私)は「星の王子さま」のこれもまた冒頭を思い出した。「象をのんだうわばみの絵」を、帽子に見間違えるような大人にだけはなるまい、眼の前にある真実に気がつかない人間にはなりたくないと思ったことを。

 だが、それよりも私(僕)の気持ちを悲しく捻れた気持ちにさせたのは「然し人間というものは到底吾輩猫族の言語を解し得る位に天の恵に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた」というところ。
 「吾輩」君、我々は猫族、犬族、猿族の言語もおろか人間の言語さえ容易に解さない。言語を理解しようとはしてる。言葉を理解しようとはしてる。君達の言語も含めて。君が世に出たのが一九〇五(明治三八)年、ゆうにあと三年で百年になりなんとする月日が流れて、言語は多少なりとも解されたのか。それはそうだろう。
 けれども、九七年という年月が流れて、猫族と人間との、人間と人間との意思の疎通がうまくいくようになったのか、と問われると、それとこれとは違うという気がする。(それが君の言う「言語を解し得る」の真意だとすれば)かえって悪くなったなどと君は笑っているかもしれない。
 私(僕)達が今やっていることを君が見た時に、人間も少しは「言語を解」そうとしていると思ってくれるだろうか。そうありたいものだと切に願っている。

そうしてオ(カ)レは凍てついた町に出た。文庫本一冊手にしただけで、冷たい風を振り切っていける。別れてしまった恋する人にまた出会える。百年はもうそこまできていたんだなあとやっと気がついた。

-この文章は創作です。
実際の個人・団体等とは関係がありません-

2002.1

文責:葉野枝 ひでを