ふとした事に気がつくと、
(A)日本語って、文章を読むのも書くのも面白いと思います。
(B)日本語って、文章を読むのも書くのもオモシロイと思いマス。
(C)日本語って、文章を読むのも書くのも「おもしろい」と思います。
上の3つの文、受ける印象が違いますよね?
(A)は普通。まあ、丁寧。
(B)は飄々とした、もしくは皮肉っぽい。
(C)は色々な意味を含んで強調した「面白い」。
…くらいでしょうか?
こんな風に、読んだ「音」は同じでも、漢字やカタカナ・ひらがな等変えることによってニュアンスが変わる。
───それが「面白い」と思うのです。
実は、こんなことに興味を持ち始めたきっかけは、高1の「数学」の時間だったりします。
“この時 x=2,3 となる”と黒板に書いた解答を、
『「時間」の意味じゃない「この場合」の意味の「とき」は、漢字の”時”じゃなく、ひらがなの”とき”だ!』
と、先生に注意されたんですね。目から鱗が落ちました。
(漢字の使用法は奥が深い…)
(ひらがなも実は奥が深い……)
(使い分けは、相当、奥が深い………)
すると不思議なもので(?)、連鎖的に、「~して見る」「~して居る」「~して行く」等の補助用言も「~してみる」「~している」「~していく」等と書いたほうがしっくりくるなー…と、色々なことに目が行くようになります。
#…これって皆さん、普通に使い分けてらっしゃるのかしら?
さて、どういう意味があって、どういうときに使えば、よりニュアンスを伝えられるのか、漢字辞典や国語辞典をめくり、漢字を使い分けるのも「おもしろい」のではないでしょうか?
言わずもがなの方もいらっしゃるとは思いますが、下に一例を挙げてみます。
観る:見物・鑑賞する。(watchかな…)
視る:注意して見る。(他:透視する、過去視、未来視 等)
会う:一般的な「あう」。下の意味のときも使用可。
逢う:偶然に会う。めぐり逢う。
遇う:思いがけず、偶然に会う
「のど」と「喉」「咽」「ノド」、等々々…
…ふとした事に気がつくと、
日本語って、文章を読むのも書くのも「おもしろい」ですね。
2002.10
文責:KonoK