2003年4月のコラム

懐かしさとテクノロジー

今月上旬、ヒトの記憶を対象としたITに関するニュースがあったのを憶えておいででしょうか?その画期的な内容とは裏腹に、どちらかというと地味な扱いだったので気付かなかった方が多かったのかもしれません。そのニュースとは、

Yahoo! JAPANとグレイフォード大学脳医学研究所(アメリカ・テキサス州)はヒトの記憶を情報化しコンピュータ画面上で画像として閲覧できるシステムを開発し、日本と米国で3つの特許を取得した。

というものです。

説明写真には聴診器状のヘッドセットをこめかみに装着した人物が写っています。システムの開発に当たったアレクサンドル・ストロフ博士によると、前頭葉から側頭葉に送られる記憶検索の信号および側頭葉から前頭葉に返される検索結果の信号は約70%がこめかみ部分を通るそうで、ヘッドセットはこの信号を捉える装置だということです。
また被験者の記憶を画像化した写真も公開されています(余談ですが、わが社の実施する実験からもこのような画期的な研究が生まれると嬉しいですね)。画像は子供時代の友だちを思い出したときのものですが、顔は不自然なほど鮮明なのに対し、着ている服や乗っている自転車はぼけています。そして、記憶に残されている顔以外は脳が勝手に補った結果、このような画像になるのだという説明があります。なるほど。さらに、このような記憶画像をYahoo!
JAPANサーバー上で管理したり、脳内の記憶を検索したりするサービスの提供も開始する予定だということです。いつの間にか凄いことになってますね。なになに、日本では五月から公募制で公開ベータテストを始める?これはぜひ応募しなくては!

すっかりその気になった私は、専門的な解説を読んでみようとグレイフォード大学脳医学研究所のサイトを探してみました。が、ないんですよ、グレイフォード大学が。テキサスには確かにGrayfordという町があるようなのですが。ある疑惑が頭をもたげてきました。もしやと思い記事中を隈なく探すと、ああ、やはり、「4月1日はエイプリルフールです」の但し書きが見つかりました。そう、この記事はYahoo!
JAPANの「エイプリルフール企画」なのでした。

この記事、改めて読み返してみると「日本語のサーチエンジンは世界で一番あいまいなロジックを使っており脳内の記憶の検索に多いに役立つ」というよく考えると意味不明なのですが何となく納得してしまいそうなコメントや「ロシアの脳医学の権威アレクセイ・スビイノフ博士が記憶の商用利用は非倫理的な犯罪行為であると発表した」との、いかにもの関連記事を織り交ぜた、なかなか巧妙な作りになっています。私はその手口にまんまと騙されてしまったわけです。

さて、話はこれでは終わりません。長々とこの記事を紹介したのは、冷静になって考えると、ここには「科学夢物語」以上のものが含まれていると感じたからです。簡単に二点だけ指摘しましょう。

まず、なぜ私はここまで記憶を映像化するシステムに心を動かされたのでしょうか?一般化して言えば、人はなぜ記憶や過去の記録というものに多大な興味を示すのでしょうか?なぜ我々は写真やビデオを撮るのか?自分が確かにこの世に存在したという証を残すため?

こんなことを考えていると思い出した映画があります。それはヴィム・ベンダース監督の『時の翼にのって』という映画です。その中で過去の記憶を映像化して再生するプレーヤーが出てくるのですが、興味深いのは登場人物が過去の映像に耽溺するあまり廃人同様になってしまうのです(記事のようなサービスが将来、本当に提供されても大丈夫なのでしょうか?)。他の部分は忘れてもこのエピソードだけはなぜかはっきりと憶えています。ここで人が耽溺する対象は正確に言えば「懐かしさ」でしょうか。「懐かしさ」って不思議な感情ですよね。ここまで人を魅了するのに心地よいだけではなく、悲しさのようなものも含んでいます。単純に快・不快では割り切れない複雑な対象です。

さて、二点目は記憶の鮮明さと懐かしさとの関係です。「被験者の記憶画像」を見たときに感じた鮮明すぎるという印象には、もっと曖昧、漠然としたものであるほうが懐かしさも強まるのではないかという思いが含まれていたような気がします。ちょっと理屈っぽく表現すれば、時とともに限りなく無に向かって薄れゆくもの、そして永遠に取り戻せないものだからこそ、それを愛おしむ気持ちが出てくるのかもしれません。

そう言えば『時の翼にのって』に出てきた記憶映像もザラザラの低画質のものでした。皆さんも最新のデジタル映像より劣化した8ミリフィルムの方が懐かしくありませんか?今はビデオで子供の成長を記録する親が多いようですが、鮮明でリアルな、そして時間とともに質の低下しない形で過去を体験できる世代は懐かしさという感情も変化してゆくのでしょうか?心理学者に研究して欲しいテーマです。

最先端の技術(って、今回取上げたのはまだできていない技術でしたね)が意外と人間の根本的な部分に関わってくることがありそうだということ。人がテクノロジーを作るが、今度はそのテクノロジーが人の感性を変えていく可能性がある(かもね)。そんなことを考えさせられた記事でした。
2003.4

文責:K.A.