2004年12月のコラム

ウソ、ホント、あるいはコトバの理解

 「私は嘘つきだ」という有名な文があります。
話者が正直者なら「嘘つき」ではないし、もし「嘘つき」なら本当のことを言っているので、いずれにしても論理的に成り立たない文ということになるわけですが、現実世界では、「嘘つき」はときどき嘘をつくから「嘘つき」なのであって、その意味ではこの文は「理解可能」と考えていいでしょう。
 一方、現実的には容易に理解できそうで「理解不能」な文もけっこう頻繁に出現するものです。近頃の出色は、某国政府最高責任者K氏の言、「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ!」。この発言をめぐって国会の内外でさまざまな議論が巻き起こっていることはさておき、言語表現として考えてみると、なかなか考えさせられる文であることがわかります。
 大きく分けて二つの考え方ができると思われます。まず、「非戦闘地域」というものが客観的に存在し、自衛隊はその中に位置していると考える場合。もう一つは、自衛隊が位置するところは「非戦闘地帯になる」、もしくは「そうである(そうなる)に違いない」という考え方です。
 第一の場合を考えてみましょう。「非戦闘地域」と似た言葉に「非武装地域(地帯)」というのがあります。こちらの方は国際法もしくは条約などで係争国同士が地域を限って軍隊や戦闘設備を置かないことを決めた地域のことです。有名なものに、北緯38度線に沿った地域がありますね。古くはアメリカとカナダの国境地帯、スウェーデンとノルウェーの国境地帯などにもあります。後の二箇所では、(もともと両国は仲が悪かったので非武装地帯を決めたのですが)永続的に戦争が起きなかったため、非武装地帯であったことが忘れられてしまった例で、まずはおめでたいことです。
 一方、「非戦闘地域」というのはどうでしょう。「非戦闘地域」がアメリカとイスラム勢力の間の条約、あるいは国連の決議によって明確に区画された「地域」であれば、この文はほぼ一意に「自衛隊は、そのような国際法(あるいはそれに準じる法)によって規定された、戦闘の起こり得ない(起こしてはいけない)地域に駐屯している」ということになって、まずは一安心となります。ところがアメリカのイラク侵攻以降の新聞記事を探しても、「非戦闘地域」という言葉は出てきません。つまり、明確な法的裏づけのある言葉ではなく、「今のところ頻繁に組織的な戦闘が行われてはいない地域」を漠然と指している言葉だと思われます。ご承知のように近代戦争では(毛沢東の功績により)正規軍同士による戦闘よりは、正規軍とゲリラの、あるいはゲリラ同士の戦闘が主流になっていて、当然、戦場の概念は拡張されてきました。アメリカ経済の象徴であるビルが某テロ勢力?によって破壊されたとき、米大統領が「これは戦争だ!」と叫んだのは、その意味で正しい認識だったわけです。こう考えてくると、第一の場合は、あまりに主観的な文で、一国の最高責任者の言葉とも思えないので、却下されます。
 では第二の場合はどうでしょう。自衛隊がいるところが「非戦闘地域」になるのだというのは、分かりやすいと思います。たとえば、自衛隊があまりに強すぎる、また残虐非道なので敵は恐ろしくて戦争する気になれない、となればその周辺は戦闘のない地域になるわけです。いささか消極的(非現実的)ではありますが、最
高法規によって「国際紛争を解決するための戦力ではない」と規定された軍隊なので、良識ある敵が自衛隊を攻撃するはずが無いと考えることも可能です。また伝統的な考え方に則って、八百万の神々の加護によって守られているので戦闘が起きないというのも、またありがたい菊のマークがあったり、金のトビがまぶしくて戦
闘する気にならないなども、ほぼ同一の論理であって、文意としては理解可能です。もう少し進めて、「念ずれば通ず」と考えることも可能でしょう。既成の権威に頼らない分、「自己責任」を声高に叫ぶK氏の言としては、こちらのほうがふさわしいかもしれません。
 こう考えてくると、文意としては、第二の意味として理解可能なように思えるのですが、さて、「自衛隊のいるところが非武装地域だ!」という文は、ほんとうに「理解可能」だったのでしょうか。K氏の発言が、外国語でどのように表現されているのか、不勉強にして知りません。ご存知の方がお出ででしたらぜひ教えてください。

 ひるがえって、文の理解、広く言えば「発話の理解」とはどのようなことを意味すると考えればいいのでしょうか。私たちの仕事からいえば、音声を文字に変えるのが「認識」といえるのか、機械翻訳といい自動要約といい、「翻訳」や「要約」をほんとうに目指しているのかといった問題にも結びついてきます。30年近く前、テリー・ウィノグラードの「言語理解の構造」(産業図書)を読んだときは、いろいろなことが輝いていたような気がします。その後、言語を扱う技術はコンピュータの進歩と相俟って、異様なまでに発展してきたことは疑いないところなのですが......

 上の例でわかるように、人間のコトバを人間が正しく理解する(あるいは理解しないことにする)のも、ほんとうはかなり難しいことに思われます。そういえば、テリー・ウィノグラードさんは、もうずいぶん前に、人工知能分野の研究から離れられたそうです。
                

文責:秋狂堂