2008年3月のコラム

「見る」考

サクラも咲いて、春本番。別れと出会いの季節がやってきました。 この春から新しい環境に身を置く方も多いことでしょう。

デジャヴ。 既視感と訳され、実際に体験したことがないのに、体験したことがあるように感じることをいいます。

ある月間誌の書評欄を読んでいて「この本前にもこの欄で紹介されたんじゃない?」と思ったことがあります。これはデジャヴかも、と思いました。 一応確認のためと思い、さかのぼって見ていくと・・・。 たったの2ヶ月前の号に紹介されていました。編集者が間違えたのかもしれないと思い、よくよく比較してみると、執筆者も内容も異なっています。 その雑誌に詳しい人に訊いてみたところ、書評欄は各分野の専門家が独自に選んで執筆しているので、そういうことはあり得るのではないか、とのこと。 最初に読んだときも「買おうかな」と思った本を、2度も同じ雑誌で紹介されては、買わざるを得ません。 観念して買った本が、「『見る』とはどういうことか」藤田一郎著(化学同人)です。 「見る」とは何か。作者は母校の中学生の質問を引用しています。 「ものはあるから見えるのですか、見えるからあるのですか」

もう10年も前になりますが、オーストラリアに2度行ったことがあります。1度目と2度目の間は数年あいただけでしたが、その間に家人が車を購入しました。 もともと自動車免許を持ってはいたのですが、車に興味はなく、日本車(右ハンドル)と外車(左ハンドル)の区別、トラックと乗用車とワゴン車の区別がつくぐらいでした。 それが、日本車と外車の主なメーカーをマークで見分けることもできるようになった頃、オーストラリアに再度行くことになったのです。 行ってびっくりしたのは、なんとたくさんの日本車が走っていること! オーストラリアは英国領だった歴史もあり、日本と同じ右ハンドルで、日本車は大変人気があるということでした。 最初に訪れたときは全く気がつきませんでした。車はもちろん目の前を走っていたのですが。

本には北岡明佳氏の「錯視」の話や、人の顔が判別できなくなる「相貌失認」の話もあります。 人の顔ばかりか、魚の種類もわからなくなるというのですが、車や虫や花の種類はどうなのでしょう? 「あとがき」によると、この本は大学の「脳科学入門」の授業内容をベースにして執筆されたそうなので、脳の専門的な話も多いのですが、1つの科学読み物として、興味のある挿話を拾い読みするのもおもしろいと思います。 新しい出会いの季節に、何か新しいものが見えてくるかもしれません。

文責:てじゃく