2008年8月のコラム

「しばいぬがまいります。」

東京の駅、特に新宿駅というのは恐ろしく混んでいます。 上京して1年が経つのですが、未だに乗り換えが分からなくなります。 どの路線に乗るのかというのは分かるのですが、逆方向のホームにたどり着いたり、電車に乗ってから電光掲示板を見て、発車寸前で降りたり、大きな駅にいる時は落ち着きません。人が多くて、案内表示を見つけられない時に助けてくれるのが、ホームの案内放送です。

「しばいぬがまいります。」

耳を疑いました。 もちろん来るのは千葉行きの電車。(いつもどおり、反対方向でした)
「ちばゆき」を「しばいぬ」に聞き間違えたのです。
「耳を疑う」と表現しましたが、実際疑うべきなのは、頭、脳のほうです。 音を知覚するのは耳の中の小さな骨、鼓膜ですが、言葉を認識するのは脳だからです。
人が多いところでは、友達や案内放送の言葉を認識するのも一苦労です。 耳自体はうまく働いていた、と仮定します。私の耳は周囲の音に影響された案内放送の音声をそのまま脳に伝えました。

ではどうして「ちばゆき」の電車のかわりに「しばいぬ」が到着することになったのか。 当然、この二つの言葉がとても似た音を持っているからです。
かな表記では「同じなのは2つ目の「ば」だけじゃないか」と言われてしまいますが、ローマ字表記にすると/chibayuki/と/shibainu/です。
どうでしょう。似ているように見えてきませんか?
/chi/と/shi/はイの段であることが共通しています。 さらに/ch/は/i/を発音する時の舌の位置の関係で/sh/に近い音です。 それに加えて脳が「この音は意味のある言葉」と認識して受け入れ態勢を整えるまで時間がかかるため、聞き間違えやすいと考えられます。
続く/ba/は全く同じ。
その次は/yu/と/i/です。 ヤ行の音は、/i/近い音、と言われています。 発音する時の舌の位置や口の形もよく似ています。 また、/u/も/i/もあまり口を縦に大きく開けて発音する音ではありません。 音量も/a/、/e/、/o/に比べると若干小さくなるため、騒々しいところではあまり区別がつかないと考えられます。
最後の/ki/が/nu/に聞こえる理由は、/i/と/u/がやや聞き分けにくい音という理由以外には音の類似で説明ができません。 実際、/ki/と/nu/はほとんど似ていない音です。

これは想像ですが、音が似ていても「まいります」が後ろに続かない語には聞き間違えにくいのではないでしょうか。 全く意味のない言葉にも聞き間違えられないと思います。適当な語にたどり着かなかった時、脳は「聞き取れなかった」と認識するでしょう。

私達の脳は全部聞き取れなくても、今までに得た、膨大な数の言葉、文、状況の組み合わせなどの情報から類推した結果を補って言葉を認識することができます。 「まいります」の前に来る語として「しばいぬ」なら適当そうだ、と私の脳が判断した結果がこの聞き間違いなのです。

2008.08

文責:茅