原町散歩 第6回 十月のお散歩

統計資料館 (新宿区若松町)

10月は国勢調査の月。西暦の末尾が0または5の年、すなわち5年ごとの10月に性別や年齢ごとの人口、世帯数や就業状況などについて、すべての国民を対象とした統計調査が行われます。この国勢調査を取り仕切るのが総務省統計局。その建物が当社から大久保通りを400メートルほど西に行った新宿区若松町にあります。今回のお散歩は、その統計局の中にある統計資料館。統計局創設120年を記念して1991年に開設されました。

資料館は統計局の別棟2階にあって、だれでも自由に見ることができます。まず明治初期からの統計調査に関する歴史や関連する文献の展示。国勢調査の実施を想定した予備的な調査として、1879年(明治12)に甲斐国(山梨県)において人口調査が行われましたが、実際に第一回国勢調査を実施したのは1920年(大正9)のこと。これは国を挙げての大事業ということで、その意義を広く知らせるためのポスターや、調査事業に携わった人々に授与された記念品などが展示されています。国勢調査や家計調査、労働統計の調査結果をグラフィックに表した展示、海外の国勢調査(センサス)で使用されたポスターなどのコーナーもあります。

kannnai.jpg
膨大な数の調査データを集計するための「マシン」のコーナーでは、コンピュータが登場するまでに使用された手回し計算機、あるいはパンチカードシステムで集計や分類を行うタビュレータ(集計機)が展示されています。パンチカードシステムはアメリカのハーマン・ホレリスが集計の迅速化のために1890年ごろに開発しました。アメリカでは国勢調査が10年ごとに行われていたにもかかわらず、次回の国勢調査が始まるのに前回の集計が終わらない可能性があることから、集計機械の開発が計画され、ホレリスの機械が採用されたのでした。日本でも当初から集計の自動化が計画され、早くも1905年には、逓信省電信燈台用品製造所の技師川口市太郎によるパンチカードシステムの試作機が登場しています。この「川口式電気集計機」と、カードにデータを穿孔(入力)するための「亀の子型穿孔機」は、日本の情報処理機器の歴史を語るうえで見逃せないものとして、2009年に社団法人情報処理学会から「情報処理技術遺産」に認定されました。余談ですが、ホレリスの創設したタビュレータの会社は後のIBMに繋がっていきます。コンピュータの登場後は目立った展示物はありませんが、最初期、1960年に導入のIBM705型に使用された巨大な磁気コア記憶装置が時代の流れを感じさせます。

poster.jpgkawaguchi.jpgkawaguchi_panel.jpgkamenoko.jpgtiger2.jpgmemory.jpgmemory_panel.jpgkinen.jpgkai.jpgboueki.jpg

日本で近代的な産業統計が国によって行われたのは旧暦の明治3年9月24日、太陽暦で1870年10月18日のこと。農産物や水産物、林産物、鉱産物などの生産高を府県ごとに集計した「府県物産表」は、産業育成政策のための基礎資料となったのです。それを記念して10月18日を「統計の日」とすることが1973年の閣議で決められました。今年も統計局を始め、国や都道府県の統計関連部門で、統計事業への啓発活動や貢献のあった人の顕彰が行われます。

Y. O.