2002年2月のコラム

 この通信も第4号になりました。創刊前の「3号で終わるのでは」という心配は杞憂だったようで、とりあえずはほっとしています。3号で終わってしまったら4号の担当者の私の責任だということですからね。

 さて、アルトは言葉を扱う仕事をしているわけですが、私は日々の作業の中で出会った(いろんな意味で)ちょっと気になる単語や語句、言葉遣いを専用のファイルを用意して書き込んでいます。よく子供が「宝物」を集めた秘密の箱を持ってたりしますが、その「言葉版」だと思っていただけるとイメージは近いですね。で、今回はその中からコレクションの1つをご紹介しましょう。こんな機会でもないとせっかく集まったデータたちも日の目を見ることがないと思うので。ただし、子供には大切な「宝物」でも大人から見ると単なる「ガラクタ」だったりするので、あまり期待はしないように。

 ご紹介するのは和文英訳のチェック作業を行っていたときに出てきた日本文ですが、その前にまずは予備知識を少々。文法用語が出てきますがどうぞ気楽にお読みください。

 日本語では関係節による修飾構造は次のようになっています。「主要部」とは英文法でいう「先行詞」、つまり文(関係節)によって修飾される名詞のことです。

(1) 関係節+主要部

具体的に、

(2) 先週新宿で買った本 (を今日読んだ)

 というフレーズを例にとると、「新宿で買った」が関係節、「本」が主要部ですね。

 面白いことに、日本語には(日本語だけではありませんが)言語学で「主要部内在型関係節」と呼ばれる構造があります。これは読んで字のごとく主要部が関係節の内部に現れるものです。なんだかややこしそうですが、さっそく実例(3)を見てみましょう。

(3) 先週新宿で本を買ったの (を今日読んだ)

 意味は(2)とほぼ同じだと思いますが、ここでは主要部「本」が関係節の中に埋もれています。そのため「読んだ」の目的語が構造的には文(「新宿で本を買ったの」)のように見えます。確かに「敵が侵入したのを察知する」の「察知する」のように文が表す事態を目的語とする動詞もありますが、「読む」の場合は目的語は具体物(本、手紙、報告書…)です。やはり主要部は「本」だと考えざるをえません。

 ではいよいよ、仕事中に目にしたちょっと気になる文をお目に掛けましょう。(4)をご覧下さい(論点に関係しない範囲で変更を加えてあります)。

(4) 藤田に対し鹿島DF秋田がファウルを犯し,PKとなったの
  (を,中山が思い切ってゴール真ん中に蹴り込んだ)

 「蹴りこんだ」のは何でしょうか?もちろん「ボール」ですね。で、この動詞の目的語を見てみると「藤田に対し鹿島DF秋田がファウルを犯し,PKとなったの」という文になっています。どうやら、これも主要部内在型関係節のようです。では、目的語「ボール」を探してみましょう。ありましたか?—そう、どこにもないんですよ。

 関係節内には「藤田に対し鹿島DF秋田がファウルを犯し」と「PKとなった」という2つの文が並列されています。
 まず第1文から詳しく見ていきましょう。動詞「犯し」の主語は「鹿島DF秋田」、目的語は「ファウル」です。第2文では主語は省略されていますが、意味的には「ファウル」でしょうか。すると、どこにも「ボール」が入り込む場所がありません。つまり、これは日本語によくある「省略」ではないということです。例えば「A:昨日『夏目坂通信』が来たよ—B:面白かった?」という対話の話者Bの文では「『夏目坂通信』」という主語が省略されていると考えられますが、 (4)では主語や目的語にあった「ボール」が省略されたとは考えられないのです。

 これは主要部内在型関係節どころか「主要部不在型関係節」だということになります。では、どうして意味的には「蹴りこんだ」のがボールだと分かるんでしょうか?
 そうですね、まずサッカーに関する一般知識の助けがあるように思います。サッカーで「蹴り込む」と言えばボールに決まってますから。

 でも、それだけではないようです。下の文を見てください。

(5) ×藤田に対し鹿島DF秋田がファウルを犯したの
   (を,中山が思い切ってゴール真ん中に蹴り込んだ)

 (4)から第2文を省略しただけのものですが、おかしな文になっています。この違いはどこから来るんでしょうか? 正確に答えるのは難しい問題ですが、以下は私の推理です。

 (4)では「PKとなった」という文の存在によって、そのような状況下での重要な問題「ボールがゴールに入ったか否か」に自然と関心が向かうのに対し、(5)では「PK」という言葉が出てこないので容易にはこのように関心が発展しない、と言えるのではないでしょうか。つまり、(4)が描く状況では表面には現れない「ボール」に注意の焦点が自然と集まり、「蹴り込んだ」にごく当たり前につながっていくのですが、(5)では「ボール」が焦点として意識に浮かび上がってこないので、いきなり「蹴り込んだ」と言われても不自然に聞こえるわけです。
 (4)では「主要部不在型関係節」の内側と外側からの限定がうまくかみ合って「ボール」にスポットライトが当たっているが、(5)では外からの限定に内から応ずるものがないと言ってもいいかもしれません。このように言語の使用には文法以外に一般常識や注意のあり方など様々なメカニズムが関わっているようです。

 さてさて、文(4)を見つけた私は「日本語文法における新発見か?」と興奮した(ちょっと大げさ)のですが、私が気付くようなことはやはり言語学の専門家が指摘しています。
 大修館書店の『言語』2000年12月号に載っていた「認知言語学入門6—『文法』の認知的基盤」(野村益寛)では、部分を指すのに全体で代用する、あるいは逆に全体を部分で喩える、「提喩」の観点から主要部内在型や「不在型」の関係節が取上げられていました(実際には「換喩」と書かれていたのですが「提喩」が適切だと思います)。まず、提喩を簡単に例文で説明すると、「電話の受話器を取った」の代わりに「電話を取った」と言う場合などがこれに当たります。「電話の受話器」という部分を指すのに「電話」という全体を指す表現を使っているわけです。上記の記事に従えば、主要部内在型関係節(3)は「先週新宿で本を買った」という事態全体でその事態の一部「本」を指す提喩的表現で、「不在型」(4)は「藤田に対し鹿島DF秋田がファウルを犯し,PKとなった」という状況全体を提示することで、それに関与する(が表面には現れない)「ボール」という状況
の一部を指し示していると分析できます。なお、記事には「不在型」の例として(このような言葉は使ってありませんが)次の文が挙げてありました。「伸びてきた」のは「顔」じゃなくて「ひげ」だというのがこの例文のミソですね。

(6) 今朝顔を剃ったのが夕方にはまた伸びてきた。

 予定より随分長くなってしまいました。自然言語処理研究の目標が「人と同じように言語を使えるコンピュータを創ること」だとすると、私たちが言葉を話したり理解したりする際にごく当たり前に頼っている一般常識、注意のあり方、喩えなどを未来のコンピュータがどう獲得していくのか、とても興味深いですね。こんなところが今回の結論でしょうか。
2002.2

文責:K.A.