2002年6月のコラム

決まり文句、あるいは、類型的表現の豊かさ

 「決まり文句」といえば、「馬鹿の一つ覚え」というほどではなくても、表現力のお粗末さを指す意味合いが込められているように思われます。しかし、歌枕や枕詞、さらには本歌取りのように、一見類型的な言葉が豊かな表現を生むことも多く、言語表現の世界を広げる技法の一つということができるでしょう。ここでは、決まり文句的な表現を類型的表現と名づけて、民謡と演歌の世界を眺めてみましょう。

 大阪出身の異色歌手坂本スミ子のヒットナンバー『たそがれの御堂筋』。この中の「送りましょうか、送られましょか、せめて難波の駅までも」の歌詞を覚えていらっしゃいますか。一時の逢瀬を楽しむことはできても、ずっと一緒にいることはできない、切ない恋の状況を歌った部分です。

 ところで、この「難波の駅」を他の地名に置き換えた形は、いろいろな民謡に見ることができます。

  せめて峠の茶屋までも(信濃追分)
  せめて鹿間の橋までも(北飛騨の雑謡)
  せめて桝形の茶屋までも(松前追分)

 これらは宿駅にいる女たちが歌う「送り歌」が元になった民謡といわれています。「送りましょうか、送られましょか」の部分が他の形になるものは、さらに数多くの民謡や俗謡に残されています。「せめて(場所・状況)までも」という形での一般化が可能な、類型的表現といってよいでしょう。

  ここを抜け出す翼がほしやせめて向うの陸(おか)までも
  (女工小唄)
  辛抱しなされ五年があいだせめてこの子が五つまで
  (愛媛の子守唄)

 子守り、女工、飯盛女、遊女などなど、貧しい境遇で辛い日常を送る娘たちの思いが、「せめて~までも」に凝縮されていたのでは
ないでしょうか。

 難波は御堂筋の南の端、梅田、淀屋橋、心斎橋、戎橋と南へ下って、もっとも庶民的な場所です。民謡の中に残る底辺の人々の心情は、はるか現代の演歌にもつながって、この女性の境遇が思いやられることになります。

 言語表現は、言語を担う個人や社会集団の、総合的な言語経験やその記憶が営々と積み重ねられた上に作り上げられる文化現象です。特定の言い回しが特定の意味を示唆するなど、辞書的あるいは表面的な意味を越えて、表現が成り立つのです。類型的表現は、マンネリズムに堕してしまう危険を孕んではいるものの、そのいっぽうで、言語が本来持っている豊かな表現力の源の一つであることが知られます。

 この稿は『日本語学』(明治書院 1991/11 Vol.10)所収の「民謡の日本語」(真鍋昌弘先生)を拝見し、むかし聴いた在所の歌手坂本スミ子の歌を思い出して書いたものです。

真鍋先生には謹んで御礼申し上げます。
真鍋先生は、民謡に見られる、女性の心情を表す「せめて」が、室町時代の『閑吟集』にまでさかのぼることができるものと書いておられます。興味のある方はご一読を。
2002.6

文責:秋狂堂