2003年2月のコラム

春寒(はるさむ)

 うすらひの筥の中なる逢瀬かな 大木孝子

古来、歌を詠み贈り合うことが、文芸の大きなジャンルとなっていました。俳諧の連句もその意味で贈答の文芸といえるのではないでしょうか。一座に寄り合った人々が、あるテーマを柱に五・七・五、あるいは七・七の形式の中で、次々と座中に贈り贈られた言葉の彩と個性を、またテーマの移ろいを楽しむ。発句はその先駈けとして、座に参集した人々への敬意を込めた「始まりの挨拶」の意味があったといえます。そして「挨拶」に季節感を込めるために用いられた言葉が季語として洗練されていったのではないでしょうか。

発句の精神を受け継ぐ近代俳句においても、この流れは脈々と受け継がれています。文芸が個人の思いに沈潜していく傾向が強い現代にあっても、慶句、弔句、献句など、挨拶としての俳句が生きているのを見るのは、言葉の「贈答」が人と人をつなぐ強固なツールであるだけでなく、芸術表現の大きな動機になっていることを伺わせます。

鷹羽狩行(たかは しゅぎょう)の『挨拶句集
啓上』(ふらんす堂)は、俳句の、あるいは言葉の贈答の本質を考えさせてくれる句集です。

 凍返る誓子の詠みし星すべて

師山口誓子の死に臨んで作られたこの弔句は、星の俳人として知られた誓子の
 寒き夜のオリオンに杖挿し入れむ
を直ちに思い出させます。シリウスの中国名からとった句集『天狼』、星の句をあつめた『星恋』、さらに「凍」の字から代表句集『凍港』も連想されます。
師の句業への敬意、追悼と哀慕の心が当意即妙の言葉の機知を得て、凛と引き締まった俳句ならではの表現となっています。

誓子が無くなったのは三月二十六日、オリオンはすでに西の空に移ってはいますが、真冬を思わせるような春寒の日だったのかも
知れません。
2003.2

文責:秋狂堂