言霊
アテネオリンピックでは日本人選手が大活躍し、メダルを沢山獲得しました。
期待通りの活躍をした人、期待に反して力が発揮できなかった人、期待以上によい成績を残した人、さまざまです。
そんな中、選手の行動として「宣言の威力」や「有言実行」が注目されました。
言葉を口に出すことから起きる状況の変化、自分や周囲に与える影響は迷信も含めていろいろ言われています。
「幸せは口に出すと逃げてしまう」系は、謙遜を尊び、慢心を戒めたものでしょうか。少し前の日本ではこのタイプが一般的だったように思います。
古い小説ですが、中国を舞台にしたパール・バックの「大地」という作品の中に、中国人の若い夫婦が、抱いている子供のあまりのかわいさに「なんてかわいいんだろう」と言った後で、あわてて子供の顔を隠し、「この子はやせて惨めで顔にはあばたがあります」と空に向かって叫んで、家に駆け込むという場面がありました。
天の神様の機嫌を損ねないよう、謙虚に謙虚に振舞わなければ幸福が逃げてしまう、というわけです。
西洋人のバックが東洋の心情・文化の象徴として大げさに書いたのかもしれません。
最近は「宣言」系に人気があるようです。
「金メダルを獲る」と公言することで自分を追い込み、プレッシャーに打ち勝つ力をつける、とも解釈できますが、「言うと本当にそんな気分になる」という暗示効果もあるかも知れません。
言葉の持つ神秘的な力は日本では「言霊(ことだま)」と言われてきました。
「そらみつ大和の国は言霊の幸わう国と語り継ぎ言い継がいけり」、こう歌うこと自体が、これからも宜しくという「おまじない」の歌ですね。
言葉にすると現実になる、というより、もっと強い力、「言葉がそのまま存在」と言ったほうがよいような、超人的な力を人々が感じていたことが分かります。
言葉の持つ力は特別のものだという考えが、日本だけに限らないことは「光あれと言うと、光があった」という、聖書の中でも抜群に美しいこの一節からも分かります。
そのほかにも「神は祝福し、・・・と言った」という表現は、まさしく
「神様に言ってもらうと本当にそうなる」ことを表しています。
このように、相手によい結果をもたらそうと願う言葉が「祝い」であり、相手に悪い結果をもたらそうと念じる言葉が「呪い」です。
最も簡単なおまじないは「どうぞお幸せに」と言うこと、もっとも簡単
な呪いは「呪ってやる」と言うことです。
新聞や週刊誌を読むと、「どうぞお幸せに」と言うべき場面で「呪ってやる」と言わんばかりの論評が目立ちます。
もしかして最近の呪いには、相手に不幸をもたらすほどの威力もなく、発する側には単に自分をアピールしたいという表現欲の手段としての、受け取る側には悪意な表現=クリティカル姿勢というようなパタンができているのかも知れません。
呪いではなく、祝いで自己を表現できるくらいに言葉を磨いていきたい、と思いながらキーボードをたたく毎日です。
文責:.siba