2003年8月のコラム

残暑お見舞い申し上げます。やっと夏らしい?日となり、お百姓さんも観光地も一息といったところでしょうか。八月は敗戦の月。広島、長崎の原爆投下からはや五十八年、戦後の混乱期を子供の目で見てきた身として、時にはちょっと立ち止まってなどと思う今日この頃です。

国際情勢を云々する性根も根性もありませんので、自分のなりわいとしている「自然言語処理研究のサポート」を、ちょっと「八月的」に眺めてみましょう。画像認識、音声認識、情報検索、機械翻訳、自動要約などなど。「うまく」利用されれば市民生活に多大の利便を与えることは自明のようなのですが。

たとえば、「市民の安全」を守るため、繁華街はもとより駅からコンビニまで、監視カメラの増殖は留まるところを知りません。主な自動車道路はNシステムに埋め尽くされています。歌舞伎町でいつ誰がどの店に入ったか(あんまり知られたくないですよね)、何処から何処までどの経路を通って誰と誰が移動したかなど、余計なおせっかいとも思うのですが、世の中にはそれを知りたい人たちがいるんですね。新しいNシステムでは、バイクも含めて、同乗者の姿かたちまで鮮明に「盗撮」できると伝えられています。これに人物像の画像認識技術が加われば、「全自動言い逃れ防止装置」の完成といったところでしょうか。

またたとえば盗聴法。意外にすんなりと法律化され、犯罪捜査の「成果」が喧伝されています(ホントかな)。世界的な大盗聴網「エシュロン」。これに日本が参加していることも公然の秘密(三沢基地周辺になんかあるらしいですが)。音声認識、機械翻訳、自動要約などの技術がこれらに結合すると、誰と誰が何を話していたか、そしておそらく「お前はこう考えていたはずだ」といった「事実」まで、容易に知ることのできる人々が出てくることになります(現在はまだ膨大な数の専門家が分析を行っているとのことですが、ここでも「いい検索用の辞書」を作ることが「有意義」な情報を集めるキモだとか)。

ここ何年かの大きな政治イベントを眺めてみると、アメリカのお尻にくっついて戦争をまたぞろ夢見る人々がうごめき始めている流れ、また、住民基本台帳の一元化、少年法や教育基本法の改正など、管理社会を強化していく流れがなんとなく見えてくるような。大義名分はともかくとして、情報化技術は、「クリーンな戦争」や「究極の管理社会」と表裏の関係にあることも明らかなようです(そんな映画や小説もありましたね)。ただし、「コトバ」について言えば、何段階かのさらなるブレークスルーがなければ、真に実用的な段階に達するまでにはまだまだ時間がかかるとは思うのですが(それも所詮「時間の問題」か。でもあんまり急速に発展してしまうと仕事が無くなるかも)。

科学技術の二面性は今に始まったことではありませんが、「たかがサポート」ではあっても、自然言語処理技術が戦争技術や社会の管理技術を高度に「進化」させる時代を無為に許してしまったら、その責任のほんのちょびっとくらいは担わないわけにはいかないかなと。まあそんなに大上段に考えているわけでもありませんが、でも孫に鋭く指摘されたらどう答えよう(ちなみに孫はまだいません)。会社人であると同時に、一市民であることに思いを馳せ、せめて「八月」くらいは、一歩下がって「越し方」「今」「行く末」を考えてみようかなどと、戦争特番を見ながらふと思ってしまったのは、なんでも儀式化(イベント化)してしまうマスコミの思惑通りか。

さてさて、世の中はままならぬもの。天皇の戦争責任を有耶無耶にした人々、アジア侵略や慰安婦問題を認めない人々、「周辺事態」といい、「有事」といい、「後方」といい、定義すらはっきりしないコトバを堂々と法律に持ち込む人々、また「沖縄に核はない」と言い続ける人々を、なぜか頭の上に戴かざるを得ない「汝臣民」(ああ重苦しい)の、暑苦しい戯言でした。

文責:秋狂堂