美人に関する一考察
経済と同じように言葉や価値観の世界にもデフレというものがあるのではないでしょうか。例えば「美人」という言葉。漠然とした印象なのですが、歴史の流れとともに美人の概念は多様化が進みその価値は下落する方向にあるのでは。何となくそのように感じていました。誰でも美人になれる反面、美人と不美人の区別が曖昧になり、美人の有り難味が薄れるわけですね。さて、ここに先日古本屋で見つけてきた一冊の小冊子があります。題して『美人学』。『婦人世界』という雑誌の昭和2年(1927年)7月号付録で、全192ページあります。今から80年近く昔の人々は美人をどのように捉えていたのか、本書によってその一端を探ってみたいと思います。
冊子は一言で言えば、美容法・健康法・ファッションのマニュアルで、「大きな口の人の化粧法」だとか「美容舞踏の練習法」「怒り肩の人の着附」といった項目が並んでいるのですが、総論として巻頭に「美人の研究」という章が設けられており、女学校校長、大学教授、医学博士などが美人を様々な角度から論じています。目次を紹介してみましょう。
・精神美と肉体美
・美人の医学的根拠と遺伝
・婦人と寿命との関係
・女性美とスポーツ
・美人と栄養との関係
・文化と美人
・美人と犯罪との関係
・婦人と表情美
・美人の妻・不美人の妻
タイトルだけからでも推測できるように、やはり美人と不美人の明瞭な区別を大前提に話が進められています。「美人の妻・不美人の妻」なんて露骨ですね。このような時代、美人は大いにもてはやされたと想像するのですが、そのことで美人が自惚ることのないように警告を発したとも取れる文句が散見されます。外面の美しさにばかりとらわれず内面を磨けという戒めですね。例を引用してみましょう。
「美人にならうと試みるものが、外形の肉体美をのみ探して居るのは、山に登つて魚を探すやうなものと思ふ。身体の健康と鍛錬、精神の修養、この二者を欠いて美人にはなれない。」
「山に登つて魚を探す」という例えに今ひとつ無理があるように思いますが、熱い姿勢は伝わってきます。美人じゃない者も気を落とすな、頑張れと励ますパターンも見られます。
「天性の美人は美に囚はれ、男子の玩物となつて自らを薄命にし、天性の不美人は美を恵まれずして却て美徳に光る。これ造化の妙なる所以か。……美人も不美人も肉体の美に拘泥せず先づ精神の美に思を潜めよ。」
さて、この文脈で興味を惹かれるのは、当時「美人→堕落→犯罪」という図式がステレオタイプとして存在したらしいことです。わざわざ「美人と犯罪との関係」という一文が書かれていることがこれを物語っています。具体的に見てみましょう。
「犯罪記事は美人の安売りをやるが、まだ女犯人の肉体美の合評会の結果が公表せられたことがないので従つて美人と犯罪との関係は統計的に明瞭になつてはゐないのである。」
さすが筆者が警視庁技師だけあって言うことが科学的だなと思っていると、すぐこんな文章が目に飛び込んできます。
「精神美に欠点のあるヒステリーの女とか、智力の発育に障害のある女とか性欲に異常があつたり又は嫉妬の病的に強い女とかで、肉体美の多少揃つてゐる女は、とかく男の性欲の満足に利用せられ、性的放埓に陥入る傾向があるので、誘拐または性的犯行の犠牲となり、遂には情夫殺しの女主人公になる事がある」
そんなにアシザマに決めつけなくても…。とりあえず落ち着けと言いたくなります。科学精神はどこへ行っちゃったんでしょうか(笑)?
さらに、こんなことも書かれています。美人は犯罪の対象となるのみならず自ら犯罪を犯しやすいのだそうです。
「肉体美は確かに男の求むる一つである。従つて肉体美の恵まれた女は兎角男の目的となるので、満足と得意が浮ぶのである。……ここに種々の犯行の種子が蒔かれるのである。/万引をする美人がある。窃盗をする美人が出る。尊い貞操を提供して肉体美を発揮するに必要な化粧品や衣装の資料を得る。/またかゝる性的放縦の結果として堕胎することがある。また嬰児殺しをするのである。」
これらの文章は今読むと偏見・決めつけとしか思えませんが、当時はリアリティーがあったのでしょうか?「情夫殺し」といい「嬰児殺し」といい妙に具体的で生々しいですね。
ところで、明治期から現在に至る文献を渉猟し美人をめぐる価値観の変遷を跡付けた、井上章一著『美人論』によれば、明治時代には美人は悪であると貶し、不美人を徳があると持ち上げる「美人罪悪論」というのが流行ったそうです。その背景には、明治に入って結婚の際に女性の身分・家柄よりも容姿が重要視されるようになったことに対する保守的な階級意識からの反動があったと井上氏は分析しています。
しかし、このような美人罪悪論は身分意識が廃れるとともに衰えていき、逆に美人に対する肯定的な見方が力を増してきます。そしてこれは近年の「誰でも美人になれる」という平等主義的美人観にまで繋がっていくわけです。井上氏によれば、相反する2つの美人観のターニングポイントになったのは両世界大戦間の時期(1920~30年代)だということです。ちょうどこの時期に出た『美人学』に「美人と犯罪との関係」という一文が見られるのは美人罪悪論はしつこく尾を引いていたということでしょうか?
最後に『美人論』からのトリビアを紹介して終わることにしましょう。明治時代に「卒業面(そつぎょうづら)」という言葉があったそうですが、どういう意味だと思いますか?答えは「不美人」。美人は女学校在学中に結婚してしまい中退するので、卒業まで残るのは容姿に優れない者だけだという意味だそうです。
2004.6
文責:KA.