明治の英会話。
もうすぐ5月。「新学期といえば……」というには少々時期外れで すが、教科書の話題をひとつご紹介しましょう。
手許に、古書店で見つけた明治時代の英語教科書があります。 当時の中学三、四年生を対象にした『会話文法教科書』下巻(花輪 虎太郎・宮井安吉共著/明治三十二年三月三十日発行/明治四十一年 一月十二日十版/金港堂書籍株式会社)。
キャラクターがいるわけではないし、話題は純日本、外国人の名前 はほとんど出てきません。残念ながら上巻が手許にないため、この教 科書の狙いなどはよく分かりませんが(前書きによれば、それらのこ とは全て上巻で述べられているらしいです)、そのことが惜しいくらい、どのページを開いても時代を感じて面白いのです。
まず、時事を反映した例文があります。
「一番新らしい海戦は何処でやった。」「黄海でやったのだ。」
調べてみたところ、おそらく日清戦争中、明治27年の海戦を指すよ うです(初版刊行の5年前)。ただ、この10版が出たのは日露戦争後。 日本海海戦が記憶に新しい生徒には、この教科書は「古い」と見えた かもしれません。
また、一見普通(?)な文でも……
「君は雨中を沼津まで歩き通したのか。」「ああ。車が一台もない ものだから余儀なく歩き通した。」
後者の英文は「Yes, as there was no jinrikisha to be got, I was obliged to do so.」。
そう、この「車」は当然ながら「jinrikisha」なのです。観光地で見かける あれが、日常的なタクシーだったことが実感として伝わってきませんか。
そして、一見普通でないような文も出てきます。
「あの人が洋服を着なかつた事は世人の善く知てる事実です。」
もちろんこれは、英語にすれば「It is well-known fact that he never wore foreign clothes.」ということ。
古さを感じるだけでなく、親しみを持てる箇所もあります。
「君これは誰の本だと思ふ。」「それは岡本のだと思ふ。何うして 夫〔それ〕が分るかといふに表紙が汚いから。」
……目に浮かぶよう な現実味。
困った子がもう一人。
「一週間の中に一打も鉛筆を失くするとは何という不注意な児だえ。 (What a careless boy to lose a dozen pens in a week!)」
箱ごとなくしたのかしら? お母様のお叱り、ごもっとも。鉛筆が 「pen」なのが少し気になるところでしょうか。
この時代に、こんな会話もありました。
「Is it wrong to smoke?」 「Yes. You must not smoke, for tobacco is very injurious to health.」
(「煙草を吸ふのは悪いのですか。」「はい。お前吸ふぢゃ ありません。煙草は健康に大変有害だから。」)
などなど。古書店で、教科書は古いものでも比較的安く手に入るよ うです。もし機会があれば、手にとってパラパラとご覧になるのも一 興かもしれません。
文責:柘榴石