「枯野」と「速鳥」
事物に名をつける行為の裏には、その人あるいはその民族の精神の歴史が深く影を落としているに違いありません。
風土記、また古事記や日本書紀には、「本朝に大船を作る初め」として一艘の船の話がみえます。その場所や造船の経緯に違いはありますが、楠の巨木を伐って船にしたこと、「一楫で七つの浪を越え」「軽きこと葉の如し」と形容するほど船脚の速かったことなどは共通しています。その船の名は記紀では「枯野(からぬ)」、風土記では「速鳥(はやとり)」。「速鳥」とは文字通り、また「枯野」は冬野の疾風に流れ飛ぶ落葉を船に見立てたものでしょうか。
海に生きる人々にとって、無事に航海から戻ってくることは何より大事なことです。たくさんの荷を積むことのできる大きな船、嵐に耐えられる頑丈な船も、もちろん重要には違いありません。しかしそれ以上に、船脚の速さが重要だったのではないでしょうか。万葉集には、玄界灘に航海に出て帰らぬ夫を八年も待ち続ける妻の嘆きが歌われています。「枯野」といい「速鳥」といい、嵐を自在に避けられる船脚の速さ、一刻も早く港に戻ってこられる船脚の速さを願う気持ちが込められていたのではと思います。
しかし、いかにすばらしい船であっても、その終わりの日が来ることを避けることはできません。「枯野」がついに朽ち果てたとき、「久しく公のものとして、その功績を忘れてはいけない」として、その船材を薪とし、塩を作り諸国に配ったと伝えられています。また薪としてどうしても燃えない部分が残ったのを不思議に思い、その材をもとに琴を作ったところ、「その透き通ったさわやかな音色が遠くまで聞こえた」とあります。
複数の文書によって後世に伝えられた一艘の船の一生。自然物と人工物とを問わず、偉大なるものを恐れ敬い、そして丁重に遇した古代人の誇りを見る思いがします。最新鋭の船につけられた二つの名には、海とともに生きてきた人々の願い、それを実現しようとする技術への渇望を感じないわけにはいきません。
さて今の時代、事物の名にはカタカナ語と略語が氾濫しています。特急が「つばめ」や「はと」と名づけられていた時代から、「こだま」「ひかり」「のぞみ」の時代へと、名を表す言葉がどんどん抽象化されていく流れもあるようです。名づける行為のその元となる精神世界の在り様は、これからどこへ向かって行くのでしょうか。
2005.11
文責:秋狂堂