2005年7月のコラム

近寄るまいと決めたもの

 「大きくなったら何になりたい?」これは子どもへの質問の定番ですが、これはなんという残酷な問いだろうと、常々思っていました。世界中にどのくらいの数、存在するかわからない、ありとあらゆる職業の中からたった一つを選んで、その場で瞬時に決断して、その人に告げねばならない。そんな難しい選択を、年端もいかない子どもに課すとはなんと、その大人は無邪気なんだろうと。
 この酷な質問に対し、私がなんと答えていたかは横に置きまして、逆に「先生にだけはなるまい」と思っていました。理由は簡単で、こんな大変な職業はないなぁ、と「先生」を見ていて思っていたからに他なりません。

 さて、学校を進むにつれ、これには近寄るまいと思うものも増えてきました。
 まず日本語の文法です。小学校の国語の授業のために配られた「口語の文法」という副読本が今も手元にありますが、どうにもこうにも、どうがんばってみても、この文法規則で割り切れない文章が日常には満ち溢れていて、どうあがいてみてもどうにも仕様がありません。
「これに近寄ってはなるまい、くわばら、桑原」と思ったことでした。
 そんなこんなでもう少し上の学校に進みますと、義務教育で教えられている文法が、橋本進吉氏が提唱したいわゆる「橋本文法」なる文法規則であること、世の中にはそれに対する異論反論がたくさんあることもわかってきました。そして学会で異端とされている文法規則が、なんと美しく理路整然としていることか・・・。

  その時、私はやっと悟ったのでした。学校で教えられた事柄は「一つの学説」「主流の学説」に過ぎないのであって、学問の世界には違う説もあるし、主流が否定される日がやってくるかもしれない。自分でそれを追求し、自分で否定してもいいし、自分の説を説明してもいいという、とても自然な理屈です。
 でも、そんな発見があってからも、日本語文法は、私にはあまりにも近寄りがたい聖域のようなものでありました・・・。

 子どもの頃習ったことが今はもう否定されている、そんなことは
当り前のこと、これは大きな発見でした。それは学問の進歩を目撃
することでもあり、調査するための科学的手段の進歩を目撃するこ
とでもあります。
 自分の周りを見ても、そんな例はたくさんあります。
 例えば、かの楽聖ベートーヴェンの死因として(日常使用されて
いた道具類の)鉛中毒説が有力になったのは「ベートーヴェンの遺
髪」(白水社)に詳しいですが、「遺髪」の科学的分析方法の進歩、
真実を知りたいという探究心があったからこその成果なのでしょう。
 クラシック音楽ネタをもう一つ。モーツァルトの「ホルン協奏曲
第1番ニ長調 K.412/514(386b)」は1782年末に作曲されたと思われ
てきました。ところが、アラン・タイソン氏が始めた「用紙研究」、
いわゆる自筆譜が使用されていた年代を研究することにより、定説
は覆され、1791年、亡くなる直前の10ヶ月である、と結論づけられ
ました。しかも、モーツァルトの死によって未完となったこの曲の
終楽章は「レクイエム」を補筆完成させたことで有名な弟子のジュ
スマイヤーが、モーツァルトの死の翌年(1792年)に補筆完成させ
たという論にまで発展したのです。

 奇しくも、なんの因果か近寄るまいと思っていたもののうちの二
つ「教育(心理)」と「日本語文法」に近い仕事をしているスタッ
フをこわごわながめられる職場にいるわけですが、「10年後の自分
は?」と自問しているお子さんが近くおられる方、就職活動に励ん
でいる方、苦手だと避けている分野、これだけは近寄るまい、と避
けている分野が、もしかしたら、その人にとっての安住の地なのか
もしれません。
2005.07

文責:Nanashi no Gon